はてぶで上がってきたトランスジェンダーに関する記事はいくつか読んだ、がよくわからない。
wan.or.jphttps://wan.or.jp/article/show/9090
(あともうひとつはてブで評価の高い記事を読んだが思い出せない)
すごく理論だった話だと思う。人権擁護にとって大切な話なんだと思う。
でも「実際にどんな行動をとればいいか」がよくわからない。
たとえば選挙でどういう法案を評価すればいいかわからない。
法改正は必要なのか否か、必要ならどういう法律がいいのか。
(戸籍の性別変更が楽になるような法改正は必要そうに思える)
たとえば公衆トイレや銭湯を所持していたり働いていたりする場合、どういうルールで運用すべきかわからない。
何らかの新しい優れた基準によって客を監視すればいいのか、それともなにもしないで黙っていることが最善なのか。
ガチガチの基準によって縛られつつやればいいのか、基準は大枠だけ決めて良心や個々人の判断に任せる運用でやるのかもよくわからない。
個人的には、差別意識満々の人間でもとりあえず従ってれば人権を擁護できる程度のガチガチ基準が欲しいが。
Yahoo!ニュースの方の記事を読むと、確かに香織さん(仮名)はとても女のように見える。
どうしてそんなに女子トイレから排除されるのか理解できないくらいには女に見える。
でもこんな個人の感想に何の意味があるというんだ。
この記事に描写された香織さんの言動をして女だと思った気持ちと、周りの人が香織さんの体をして男だと思った気持ちとを比べて、前者の方が上等とか人権意識が高いとかそういうことを全然思えない。
どちらにしろ単に勝手な印象を勝手なステレオタイプに当てはめてるだけじゃないか。思えばいつもそうだ。別にトランス関係なくいつも勝手に他人の性別を判断している。他人の性自認に真剣に向き合うなど普段からずっとやっていない。急にやれと言われたってできない。トランスを尊重する時代を生きていく上で何らかの訓練が必要なのだろうか。よくわからない。
それともこのような意識の低いアホであっても言動を見たうえでのステレオタイプ判断すれば体を見てのステレオタイプ判断より「正答率が高い」のでそれでいいということなのか。
いくつかトランスについての記事を読んで多少は考えたが、いくら男性とトランス女性は全く別物なんだと言われても、いくら別物だと頭では理解したつもりでいても、実際に見分けられる気はしない。自力で見分けられないなら他の基準を信じるべきだろうが、戸籍は現在あまり根拠にならない。本人申告を信じるべきだろうか。見分けられる人の言うことを信じるべきだろうか。その人の正気は誰が保証してくれるだろう。保証はないけど一定の信頼性が確保できるからいいのか。
「そもそもお前たちはシス男性とシス女性の区別もぱっと見で適当に行っていてトランスも当然見抜けないことが多い。実際性別適合の進んだトランスが適合先のトイレに入ってバレていない例はいくらでもある」と言われるとさらにわからなくなる。バレないから平気、が望みなら周囲にトランスジェンダーへの理解があるかどうかは関係ないので啓蒙の必要性がよくわからない。また、性別適合の進んでないトランスは元の肉体の性のトイレに入るのが当然の前提になっているのもよくわからない。適合はできてないけどやはり性自認の方に入りたいからゆくゆくは入れる社会にしたい、とかそういうのはないのか。
先のWANの記事についていて星が多かったブコメ
を見たが、これは差別的じゃないのか。
どうしてたまたま女の体で生まれてきた人は堂々とフリーパスで女の場所入れるのにトランスばかり貴重な時間使って病院行って診断受けて診断書持ち歩かないと女の場所に入れないのか。同じ女なのに不公平ではないのか。
そもそも診断書を提示すべき人としなくていい人を区別するのは何だ。身分証明書を出さないと入れないような場所ならわかるがしかしむしろ身分証明書自体の性別を変更した方が(変更が今より楽になるようにした方が)ヘルプマークなどを用意するより簡単かつ明快に思えるし、風呂みたいにもともと客の性別の判定を適当にやってるところなら単純に見た目が男っぽいかどうかというトランス理解もクソもないルッキズム的な理由にしかならないような気がするが。
どちらも診断書など出さなくていい(男性の侵入は諦める)orどちらも診断書を出さなければならない
が正しいのではないか。それとも今挙げたようなことは必要経費として諦めてやはりトランス女性だけが診断書を提示するべきだろうか。
また、医師という他人に性自認を診断されるのはいいのか。そりゃ有象無象より圧倒的に「正答率が高い」だろうが、他人に性自認の後ろ盾になってもらわないといけないのは根源的に間違いではないか。別にそんなことはないのか。それとも間違いではあっても他の利益と天秤にかけて諦めているのか。
これも読んだがやはりなんとなく納得がいかない。以下この記事を引用していく。
まず
女性であるかどうかをジャッジする警察。すべての女性の生きづらさにもつながるのではないか
この警察というのが「変な基準でジャッジする人」なのか「なんであれジャッジする人全部」なのかよくわからない。
もし後者のことなら、トランスジェンダーの診断(ジャッジ)を下す医者は警察じゃないのか。医者は「正答率」が非常に高いから許容するということだろうか?それとも医者はこちらから診断を受けに行った時しかジャッジしてこないからOK、という話なのか。
次に
2016年に施行された障害者差別解消法における「障害者」の中には性同一性障害も含まれており、性同一性障害に該当する人はこの法律によってすでに守られている状況です。
それでも、障害者差別解消法のせいで男性器のあるトランスたちがどんどん女湯に入ってきてトラブルが増えたなんて事実はどこにもないはずです。
「男性器のあるトランスジェンダーが女湯に入ってくる。それを拒むと差別になる」という議論は、あたかもトランスジェンダーたちから(あるいはLGBTの運動サイドから)そのような法制化の要望の声が上がっているかのような誤解を与えていますが、実際にはそのような主張を私は耳にしたことがありません。
ほとんどのトランスジェンダーは薄氷を踏む思いで自分が他者からどのような性別で見られているのかを気にし、周囲に気をつかい、ときには自分自身の外見を憎んだりして過ごしています。
この文章をどう受け取っていいのかもよくわからない。
トランスジェンダーの行動を恐れる差別者に、「トランスジェンダーは恥や周りの差別意識に縛られているのでそんな行動はできません、安心してください」と返しているように読める。いいのか、それで。
個人的には女湯に男のような体の人間が入ってくるところを想像してもあまり恐怖などがピンとこないので問題ないと思っているが、こんな個人の感想は別にトランスの人権擁護にはならないだろう。
すいませんここに書いてあった内容は消しました
ブコメは短いのでよかったらコメント欄に返事してもらった方がうれしい。